M-1グランプリから見える人生の魅力。

マヂカルラブリーの優勝で幕を閉じた2020年の「M-1グランプリ」。
彼らには3年前の悪夢があっただけに、またこうして決勝の舞台で見れたのは感慨深かったです。

今回の大会も本当に楽しませてもらえました。

毎年そうなのですが、私がM-1を見て感じるのは「面白かった」という感想以上に「羨ましい」という感情です。

今回は、その「羨ましい」という感情について話そうと思います。

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今年のM-1グランプリについて。

今年は昨年とはまた違う様相でしたよね。
今回は、それぞれのコンビで漫才の型があまりにも違いすぎる。
似ている漫才が全くなかったです。その意味で特殊だったなと感じています。

優勝したマヂカルラブリーに対しては、「これは漫才なのか?」という批判もあったようです。が、あの時間/あのお客さんの前で一番笑われていたのは確かにマヂカルラブリーだった気がします。「その日一番ウケたやつが優勝する大会だ」とM-1創設者/島田紳助さんの考えもあるようですが、このような批判を外部から言うのはなんだかなぁと思ってしまいます。

ダウンタウンの松本さんも、
「漫才の定義というのは基本的にないんです。定義をあえて設けることで、その定義を裏切るのが漫才なんですよ。」とこの件について語ってますしね。

ちなみに余談ですが、松本さんは本当に例えが秀逸で、今回の件を下記のようにも話しています。
「大一番のときにピッチャーが消える魔球投げた。われわれプロはすごい、魔球を投げるのかと。でもにわかプロ野球ファンなんかはあれは卑怯だ、あそこで魔球投げるかね、真剣勝負せいやみたいな意見が出てくる。これはたぶんね、一生交わらない。でも交わらないからこそ、われわれは飯が食えていける。」

そもそも、なんで漫才に本気になるのか。

M-1グランプリ、私は泣きながら見てます。
それは、面白いから泣くのではなくて、真剣勝負の舞台に感動するから泣くのです。
まるでスポーツを見ているように。

2020年の大会が終わったばかりなので言いづらいですが、2019年の大会は特に凄かった。個々のレベルが高く、みんなが熱くなり、これまでの最高得点も塗り替えられました。一つの番組がまるで映画のように、物語として感動してしまいました。

なぜ、ここまで本気になれるのか。
なぜ、ここまで熱くなれるのか。

恐らく、本人たちも気付いていないのでしょう。
理由はわからないけれど、M-1に取り憑かれ、夢中になって努力する。
それがまた魅力ですよね。

人生で追求するべきものがある。

彼らが魅了されている漫才。
そして、M-1グランプリと言う真剣勝負の世界。

その大会で頂点に立つために彼らは自分たちのお笑いを追求している。

例えば、錦鯉の長谷川さんは今49歳。家賃5万円の部屋に一人暮らししながら、アルバイトで生計を立てて漫才に打ち込んでいる。

正直、普通の人から見れば「羨ましい」と言う暮らしではないかもしれない。今年は5,081組の参加があったのだから、似たような生活をしている人も多くいるのだろう。

しかし、

彼らは挑戦し続けている。

挑戦こそが人生だ。

マヂカルラブリー/野田クリスタルさんの母が、息子には安定した職業について欲しいといった時に、野田さんは「それは俺に死ねってことだな」と言い返したらしい。ちょっと笑ってしまったけれど、このくらい突き抜けていないと、厳しい世界では戦い続けることは難しいでしょう。

お金がなくても、世間や両親から反対されても、自分が面白いというものを追求し、自分が楽しいということをやり続ける。

それが、格好よくて、本当に羨ましいです。

今回は5,080組が敗者となりました。
でも私から見れば、
・追求したいものがある
・魂を込めるものがある
・周りが何と言おうと「真剣勝負」に挑んでいる
その点で圧倒的な勝者です。

来年も楽しみです。

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