どこかのタイミングで「これだ!」というのは見つかる。

夢は本当にみんながみんな持つべきなのか。
「夢を持て」 それは強制されるものなのか。

最近、そんなことを考えてしまいました。

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夢を叶えた人が話す「夢を持て」という言葉について。

先日、テレビを見てちょっと考えてこんでしまいました。
今年のドラフトで指名され、来年からプロ野球選手になる方のインタビューが流れていました。
どうやら、出身高校へ凱旋している様子でした。
その方はおそらくまだ大学生だったと思います。

体育館で全校生徒が集合し、祝福を受けていました。
そして、プロ野球選手としての夢や目標などを語っていました。

きっと、後輩たちは、その言葉一つ一つに感動し、心を動かされたでしょう。

最後に、その大学生はこう伝えていました。

「みんな夢を持って、その夢に向かって全力を尽くして欲しい。」

この言葉は、プロ野球選手になると言う夢を叶えたその方からすれば、当然の言葉なのだと思います。必死に努力をし、夢へのチケットを手に入れた。だからこそ、最高の喜びを手に入れることができた。そして、その喜びはみんなにも味わって欲しいと思ったことでしょう。
何も間違ってはいないです。

もし、私が高校生としてその場所にいたら、感動と尊敬で一気にファンになるでしょう。そして自分も「夢を持って生きよう」と誓うのでしょう。

でもこれ、個人的には思ってしまうのです。
「夢を持て」という言葉は、受ける人によっては、鋭利な刃物になって心を刺してくる場合もあるのではないか、と。

この言葉は、 響く人にはもちろん響く。
でも、響かない人には響かない。
だって、夢なんて持ちたくないという人もいるはずだから。

それで良いと思うんですが、この2パターンとはまた違う受け取り方をする学生もいる気がして。

つまり、「夢を持たなければ」という焦燥感に駆られ、追い詰められる学生もいるのではないかなと思ってしまうのです。真面目な日本人、特に若い学生にはそれが重荷にならないかなぁと不安もあるのです。

個人的には「夢は持つべき」だと思っている。

前述の内容と矛盾するようですが、 個人的に「夢は持つべき」だと思っています。

ただそれは自分の中だけに留めています。
決して他人に強要するものではないな、と。
無闇矢鱈に、誰にでも言って良い言葉ではない気がするのです。

大事なことは焦らないこと

夢や目標はきっと焦って見つかるものではないと思うんです。
探して見つかるものでもない。

今、夢中になれる何かに取り組んでいる結果として、気付いたら追いかけたい夢になっている場合が多いのではないでしょうか。

夢を持って生きることは素晴らしいことだと思います。

しかし、だからと言って、夢がないことで自分を卑下しないことも重要です。

どこかのタイミングで「これだ!」というのはきっと見つかるはずなんです。 だからそれまで、焦らなくて良い。 好きなことを、楽しいことをやり続けるしかないのではないかと思っています。

そんなことを、考えました。

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