「何のために産声をあげる?」
この一節を聞いて、誰の歌か思い浮かぶ方はいらっしゃるでしょうか。
これは、ONE OK ROCK の「Yes I am」という曲の中にある歌詞です。
昔この曲を聞いた時に、
人間は「自分が産声をあげた理由」を知る必要があるのか。
こんなことを考えてしまいました。
※「自分が産声をあげた理由」 それは「生まれてきた意味」と解釈しています。
全てが順風満帆に見える「憧れのあの人」が抱える心の葛藤。
昔、こんな話しを聞きました。
子供の頃からエリートコースに乗り、
世間から見ても一流の大学に入学し、
その後もとにかく順調。
そんな男性の話し。
世界で有名な一流企業に勤務し、
20代はとにかく仕事に夢中で、
成長を感じるのが楽しくて仕方がなかった。
だから無我夢中で働きどんどん出世していった。
30代になったら、家族にも恵まれ子供も生まれた。
報酬は億を超え、裕福で家族の仲も良好。
そんな誰もが羨む順風満帆な生活をしているはずなのに、
ある時その人はふと思ったと言います。
「私は、何のために生きてきたのだろうか。」
世間から見て幸せなはずなのに、
贅沢な気分も味わっているはずなのに、
不満など何もないはずなのに、
ふと一人になった時、
そんなことを考えてしまった瞬間があると。
その時その人は、
「何とも言えないたまらない感情」に襲われたそうです。
「生きる意味」について謳うもの
アンパンマンのマーチ。
皆さんも一度は耳にしたことがあると思います。
こんな一節があります。
「何のために生まれて、何をして生きるのか。答えられないなんてそんなのは嫌だ。」
「なにが君のしあわせ?何をして喜ぶ?わからないまま終わる。そんなのは嫌だ。」
さらに。
哲学者のニーチェはこんな言葉を残しています。
「生きるべきなぜを知っている者は、殆ど全ての「いかに生きるか」に耐えられる。」
こういう歌や言葉を聞くと、
「何のために生まれてきたのか」
その答えは、生きているうちに知らなければならない。
そういう衝動に襲われてしまう人も多いのではないでしょうか。
「人生の意味」を知りたい衝動、それはきっと「人生は有限である」という事実から来ているかものしれない。
この地球上の生物に与えられた唯一平等なものがあるとすれば、
「時間」なのだと思います。
そして、時間は有限です。
「人生が終わる。」
その瞬間がもしかしたら今日突然やってくるかも知れない。
そんなことを考えると、
焦りと不安で気が狂いそうになる人もいると思います。
恐らく、 「生まれた意味」を知りたいというその欲求は、
人生の有限感から来る「焦り」が源である人も多いと思うのです。
次回、このテーマについてもう少し考えてみたいと思います。
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