「生まれてきた意味」を知りたいと思う才能②

先日、下記のような記事を書きました。
「生まれてきた意味」を知りたいと思う才能①

その続きになります。

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「生まれた意味」を知ってしまった不幸。

ソフトバンクの孫さんは、

「志高く」

と伝えています。

もしかしたら「生まれた意味」と言うのは、
その人の「志」と言い換えることも出来るかも知れません。

人生の中で自分がやるべきこと=志を見つけた人は、
現実にある「当たり前」、
世の中にある常識というものを乗り越えて、
その人独自のオリジナルな人生を生きていくと思います。

そこに迷いはなく、
ただひたすらに突き進むのでしょう。

それは幸か不幸か、
その「志」によって人生を翻弄され、
激動の日々を過ごすことになるでしょう。
物凄く充実した人生だと思います。

一方でそれはきっと、 激しくて苦しさも付き纏うと思うのです。
志実現のために、寝る間も惜しんで働き続けることがあるかも知れない。
誰も認めてくれなくて、一人孤独を感じるかも知れない。
リスクも高く、何度も何度も失敗するかも知れない。

それはきっと、心身ともに疲れる世界になり得るかも知れません。

「生まれた意味」を知らなかった幸福。

私の場合で言うと、
有限であるこの時間というものを「浪費」することに使っていると思います。

人間が与えらえたこの時間は、とても長いものだと思います。
浪費することに使わなければ、 大きなことを成し遂げるのに十分な時間だとも思います。

それでも私は時間を浪費している。

それは「生まれてきた意味」を知らないし、
この世界で成し遂げるべき「志」がわからないからです。

でもそれは、悪いことではないと思っています。

中途半端に「生まれてきた意味」に翻弄されるくらいなら、
死ぬその瞬間まで自分が「生まれてきた意味」などを意識せずに生きていきたい。

これもきっと幸せな生き方だと思うのです。

夢を持つべき。
志高く。
大人は子供に伝えます。

でも、そういうものに出会わない方が幸せだという人もきっといると思うのです。

それでも「生まれた意味」を知りたいのなら。

その答えを見つけたい、 そう願う人がいると思います。

もっと具体的な視点で言うと、
・大学に通う目的とは何か、
・働く意味とは何か、
・やりたい仕事とは何か、
と言った本質的な問いになると思いますが、

これを自分自身に問いかけることの出来る人は、
それ自体が才能であり、 心底大事にすべきだと思っています。

せっかく問うことが出来るのなら、 見つける努力をするべきです。

それはきっと悩んで答えが出るものではなく、
自分自身の経験の中で生まれた感情が、
それぞれの「本質的な意味」のヒントを教えてくれるんだと想像しています。

例えばその感情が、
怒りだったり喜びだったり苦しさだったり悲しさだったりするのでしょう。
そういう意図しない体験で感じた感情が、
その人の中に情熱を生み、目的を見出してくれるものだと思っています。

「この世界で成し遂げるべき志を見つけたい」
「人生をかけて情熱を注げる仕事を見つけたい。」

そう願うことが出来るのは才能です。
深く自分自身に問いかけ、行動することが大切なのでしょう。

その才能を枯らさないために必要なのは、考えることではなく行動。

目の前にある「楽しいこと」をやっていく。
その先にきっと「生まれた意味」がついてきます。

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