平凡な日常の中にある物語を自己認識すること。

前から言われていることですが、
令和の時代に改めて言えること。

それは、

「自分なりの物語」を生きることが結果として生きやすい時代であり、
それが出来る環境は整っているということです。

いくつか要因はあるのですが、
その一つにツールが揃っていることもあると思います。

YouTubeでもTwitterでもブログでも、
自分の人生を物語として発信出来てしまう時代です。

いや、発信しなくても良いのでしょう。
自分の中に物語を持ち、それを信じているだけで良い。

とにかく今は、「自分なりの物語」を持っていること、
それを信じていることのメリットが大きい時代なのだと思うのです。

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物語は「平々凡々の日常」で構わない

自分なりの物語とは、
誰もが羨むような成功物語のことを言っているのではないと思います。

平凡でも、
代わり映えのない日常でも、
それが唯一無二のその人の物語です。

もしくは、
情けない経験すらも。

恥ずかしい失敗も、
眠れないほどの悔しい経験でさえ、
自分自身を主人公とした「物語」だと思います。

一つの小説のように。

失敗も物語になる時代に、それでも失敗したくない人へ

失敗の定義/規模にもよりますが、
「失敗したくない」という人は、
これなら安心だと言われている世間の価値観に従って進めば良いのでしょう。

それもまた日常。

それで例え失敗したとしても、 みんな一緒だから安心です。

世の中には、
もっともらしい理屈と、
世間的に当たり前とされているものが溢れているので、その道を進めば良い。

ただ、それを「自分なりの物語」にしていくというのが、
心情的に至難の技なのだと思います。

決して出来なくはないと思うのですが。

だから、価値観は自分の中に持っておくというのがベストだと思っています。

「完璧な人生」という視点は捨て去る

完璧な人生というものの存在は誰もわからないと思います。
存在が不明なものを目指し無理する必要はない。

それよりも、
日常生活を、仕事を、エンターテインメントを、
どうしたらもっと楽しくなるのか、
どうしたらもっと面白くなるのか、
それを主軸に考え、その結果に従うことが良いのではないかと思うのです。

カッコ良い大人とはどんな人たちか

カッコ良い大人とは、
世間や会社が作った物語ではなく、
「自分の物語に生きている人」だと思っています。

そういう意味では、
矛盾しているのかもしれませんが、
「会社の価値観に従うのが自分の物語なんだ」と言える人もカッコ良いです。

反対に、
自分の人生を自分のものとせず、
「会社や国がなんとかしろ」って言っている人は少しカッコ悪いと思います。

こういう移り変わりの激しい時代だからこそ、
「自分なりの物語」を信じて生きることが必要だと感じています。

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