その人の「弱み」こそが魅力になる時代①

最近、日本の「相対的貧困」について考える機会がありました。
今回は、そのことについて、思ったことを書き連ねていきます。

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日本で問題となっている「相対的貧困」とは何か

相対的貧困とは、
その国の文化水準、生活水準と比較して困窮した状態を指します。具体的には、世帯の所得が、その国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない状態のことです。

https://cfc.or.jp/archives/column/2019/03/01/23762/

私自身、日本は世界の中でも圧倒的に豊かな国だと思っています。
でも、問題は山積みで、 中でも所得や教育・地域間などの格差問題はまだまだ根深いです。

それは、
絶対的な貧困ではなく、
上記であげた「相対的な貧困」という点においてです。

OECD指標では世界の中でもかなり高い水準ですね。

絶対的貧困とは、
人間として最低限の生存を維持することが困難な状態を指します。飢餓に苦しんでいたり、医療を受けることがままならなかったりする人がこの状態に当たります。

https://cfc.or.jp/archives/column/2019/03/01/23762/

相対的貧困の何が問題なのか。

相対的貧困の一番の問題点は、
「心理的側面」ではないかと捉えてます。
もちろん一概には言えません。

しかし、これが本当に厄介だと感じています。

正直、所得格差は、
相対的に見れば仕方のないことです。

現代は資本主義社会であり、
そこに競争原理が働くのは当然。
成果や実績によって所得や資産に格差が出ることは自然の流れです。

問題なのは、
特に子供世代に多いのですが、
他者と比較して、「自信を失ってしまうこと」だと感じてます。

例えば、
昔の日本は既得権益が強すぎて、
一度乗ったレールから「別のレールに移動する」ということがとても困難でした。

いや、
「レールを移動することは危ない」という幻想を、
多くの人が共通認識として抱いてしまっていたと言えるかもしれません。

ですので、
例えば、 経済的貧困を理由として、

・高校を中退した、
・大学に行けなかった、
・就職に失敗した、

そうした既存のレールから外れた(と思い込んでしまった)子供たちの中には、 周りと比較し相対的な格差から精神的にダメージを受けてしまう方も多かったと思うのです。

「私なんか」
「僕なんか」
と自信を失ってしまう。

結果として、
「彼らと私は違う。」
「彼らに追いつけるわけがない。」
という状態があちこちで起こり、
スキルを磨いたり、
新しいことにチャレンジしたりという努力を諦めてしまう。

もちろんこれが全てではないですが、 実際にこういう現実がありました。

「自信を失ってしまう」ということの厄介さ。

安定したレールに乗っている(と思い込んでいる)人も、
レールから外れてしまった(と思い込んでいる)人も、
一部の天才を除いては、
持っている能力にほとんど大きな違いはないはずです。

他者と比較して「自信を喪失してしまう」こと。

これは、「行動する意欲を失わせる」という意味で、
本当に厄介なものだなと感じています。

こういった構造が、
所得格差を助長してしている一因だったりするのかなと考えました。

次回に続きます。

その人の「弱み」こそが魅力になる時代②

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