前回、下記のような記事を書きました。
その人の「弱み」こそが魅力になる時代①
今日は、その続きとなります。
昔の日本は、なぜレールの乗り換えが難しかったのか。
日本の歴史を振り返ると、
戦後の高度経済成長を支えてきた最大の功労者は「団塊の世代」です。
圧倒的な同世代(ライバル)がいて、
競争しながら日本の発展に寄与されてきました。
そして、安定成長期やバブル崩壊を経験している「団塊ジュニア世代」。
良い時代も悪い時代も経験してきた先輩たちは、
自分達なりの「人生の正解」を持っていたと思います。
多くの若者は、 その正解を勧められた。
「安定した企業に勤めなさい。」
・・・
時は経ち。
現在、日本は残念ながら「斜陽の国」となりました。
失われた30年と言われ、
国際競争力は低下し、
1989年につけた史上最高値の株価はずっと下回ったままです。
そういった状況下でもある中、
両親や教師から「安定が正解」と言われ続ければ、
若い世代もとりあえず言われた通りにしようと思い込んでしまうのは当然です。
そして私たちも、
物凄く苦労して手に入れた「安定」であれば、
「守り抜きたい」と思ってしまうのは人間の性だと思うのです。
例えば、
めちゃくちゃ勉強して良い大学に入り、
めちゃくちゃ就職活動を頑張って日本有数の大企業に入社する。
そこに至るまでに使った努力の時間とエネルギーの大きさを考えれば、
せっかく手に入れた安定企業(と思い込んでいるもの)を辞めると言う選択肢は持ちにくい。
だから。
こうして、
親世代や私たちの世代も含め、
苦労して手に入れた既得権益を守ろうとする人たちが集まれば、
「安定」や「地位」を守ろうとする社会的強者となり、
少しレールを外れてしまった外部の人間が参入しようとすれば受け入れず、
少し目立とうとすると資本力の力で叩き落とす。
こうして、
レールを外れてしまった社会的弱者は、
こういう閉塞的な社会の雰囲気を敏感に感じとり、
「レールを移動することは難しい」という暗黙の了解を抱いてしまっていたと思うのです。
時代は変わりました。
昔の日本は、
「レールを移動することは困難だった」ということを書いてきましたが、
時代は間違いなく変わりました。
恐らく、
今の20代は、
「乗ってるレールって意外と簡単に移動できるな。」と気付き始めた。
10代に至っては、
「何でその場所に留まっているの?」 という感覚かもしれない。
トータルとして言えるのは、
「既存のレールを歩くことが、私にとっての正解ではない」と考える人が増えた気がします。
それだけではなく、
社会的強者の意識すら変わってきている。
既得権益を手に入れ、
それを守り続けるということは、
世間から一定の評価を受け、
平均以上に豊かに生活することも出来るのですが、
「楽しくないかも」と思い始めた。
もしくは、
レールにしがみつくことは、
発展どころか現状維持すら難しいということを、
この失われた30年の日本が教えてくれた。
つまり、
一人一人にとって「大切にすべきもの」が変わってきたと感じるのです。
「与えられたマニュアル通りに動くこと」から
「マニュアルは存在しないという前提で動くこと」へ。
「苦労して手に入れた既得権益を守ること」から
「新しいレールを創ること」へ。
それは、
昔と今、 決して一人一人の能力が変わったのではなく、
ただ、 人生の「楽しみ方」が変わったと言えるでしょうか。
本当に楽しいことは何か?
ということに今の若者世代は敏感になっている。
そして、それを追究しやすい時代になったと思います。
次回に続きます。
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