自分なりの人生の目的は、どこかのタイミングで決めておく。

先日、

「目的を持つこと」と「行動すること」

これに優先順位ってあるのかな、と考える機会がありました。

結論としては、
きっとこの2つはどちらの方が大事ということはないのでしょう。

「2つがセット」になって初めて前進するものだと思います。

世界的な名著である7つの習慣でも、
第二の習慣で「目的を持って行動する」ことの重要性を謳っています。

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「目的」とは何か。

まず、目的とは何か。

その意味をコトバンクから引用すると、

1 実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。めあて。
2 倫理学で、理性ないし意志が、行為に先だって行為を規定し、方向づけるもの。

コトバンク

とあります。

では。
日常や仕事における全ての行動が、
「自分なりの目的」を持ってなされているのかといえば、 どうでしょうか。

私自身は、 とてもそんなことは出来ないな、と感じています。

全ての行動に「自分なりの目的」があるわけではない。

特に仕事をしている中でそう思います。

会社員であると、
目の前の仕事の目的というものを決めず、
やらなければならないから反射的に動いているケースは多いように感じます。

・毎週月曜日にミーティングを行う
・上司から言われて決算資料を作る
・毎日朝起きて会社に行く
・提案資料を作る

一つ一つに「自分なりの目的」があるかと言うと疑問です。

上から与えられる仕事をこなすだけでも、
なんとかなってしまうケースが多いので、
そもそもそんなものは持つ必要はないのかもしれません。

きっと、それで良いのだろうと思います。

おかれている状況にもよるけれど、
「自分なりの目的」なんかなくても、 どんどん行動すれば良いのでしょう。

目の前の細かい行動にまで目的が必要となってしまうと、生きるのが大変です。

「人生の目的」は決めているべき。

一方で。

人生全体において、
「自分なりの目的」は持っておくべきなのだろうな、と感じています。

人生は挑戦の連続です。

何かに向けて挑戦するのなら、
それに挑む前に、
出発する前に、
自分の中で既に大枠を決めているべきだろうなぁと想っています。

「ゴール」は出発する前に決めていろ。

何ていうのでしょう。

既に航海に出発してしまっているのに、
途中で大きな方向転換が必要になったりすると、 なかなかしんどいものです。
出来なくはないけれど。
そこにかかる労力は大変なものです。

「自分の人生をどこに使っていくか。」

出来るのなら出発前に決めておきたい。
荒波も、雑音も、そのゴールがその人を支えてくれると思うから。

わたしたちは、いつかどこかで死ぬべき運命にあります。
それを知っているのに、
目的を持つこともなく、
いまを生きることなく、
ただなんとなく日々を過ごすのには、人生はあまりにも長すぎます。

どこかのタイミングで「決める」こと。

人生のどこかのタイミングで、
自分の意思と目的を持って生きることを選択すべきかなと思います。

「現実的に考えてこれしかなかった。」
このようにただ身をゆだねていくような生き方は、
きっとこれからの日本社会では難しい。

一生懸命働いて、
60歳の定年を迎える前にふと自分の人生を振り返った時に、
何が自分の一番の目的だったのか、
何のために働いているのか、
を思い返す時が来るかもしれません。

その時に「誇れる時間」を過ごしていきたいものです。

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